1986-05-08 第104回国会 参議院 文教委員会 第6号
困苦欠乏に耐える、これも必要でございます。しかし、もっと根本にあるものは、その抑止力として働くものは何であるか、これを考える必要があるんじゃないかということを申し上げておきたい。 もう時間がございませんので、あとは私希望だけを申し上げまして、もし何か御異論があれば御答弁お伺いします。なければ御答弁は要りません。 一つは、教科書の検定の問題。
困苦欠乏に耐える、これも必要でございます。しかし、もっと根本にあるものは、その抑止力として働くものは何であるか、これを考える必要があるんじゃないかということを申し上げておきたい。 もう時間がございませんので、あとは私希望だけを申し上げまして、もし何か御異論があれば御答弁お伺いします。なければ御答弁は要りません。 一つは、教科書の検定の問題。
そのことに思いをいたして、ないしは我々の先人、先輩がどのような苦労の中で、困苦欠乏の中で今日を築いてきたかということを、もっと小中学校の教育を初め、もちろん家庭教育においても、ないしは厚生省がなされておりまする各種のPR誌あるいはまたそうした会合等においても強調される必要があるのではないか。今のままですと、幾ら差し上げても足らぬ足らぬというむさぼりの福祉に終わってしまうのじゃないでしょうか。
○塚本政府委員 先ほども申し上げましたとおり中南米地域には九十一万余の日系移住者がおりますけれども、明治、大正を通じまして初期の移住者は困苦欠乏に耐え、その後これら移住者はきわめて定着の方向に向かっております。 移住政策の将来といたしましては、自己の発意による幸福追求といった移住からその定住国に対する開発協力という意味合いにおきまして、定住国からきわめて高く評価されています。
というものは、おれは金を払っているんだ、しかもおまえたちからストーブも買ったじゃないか、湯わかし器も取りつけさせただろう、こういうような論を展開されますと、やはりこの実情の変化という原則にのっとりまして、こういう事情であるからこれこれだ、私は、過去の一億総ざんげだとか一億総決起だとかいうことばは大きらいでございますが、やはり全国民がこの認識の上に立って、そうして国ともどもこの需給のバランスの来るまで困苦欠乏
これは見方によりますと、今日からいいますればむちゃなことをしたとは思いましょうが、当時としますると、国をあげて正義の戦いとして戦ってまいったわけでありますから、この批判はいたしませんが、いずれにいたしましても、そういう時代を経まして困苦欠乏に耐えて、勤勉の精神に徹していまの青年をつちかってきた形になっておるわけでありますから、いまの老人の姿がかように悲惨なことに相なっておるということに対しましては、
それで困苦欠乏の中によい実績をあげているということを私は聞いてきました。私はそういったような予算の配慮というものがどうなっておるか、お聞きしたい。 それから、その次、先ほどの加藤委員のこれは関連ですが、艦長と艦が運命をともに私はすべきだと思うのです。私は一般の商船とここら付近が自衛隊の自衛艦と違うべきじゃないかと思うので、先ほどの長官の答弁がどうも私にとってはふに落ちません。
だから、それだけ努力をしているのだから、困苦欠乏に耐えてがんばっているのだと言われれば、そうかもしらぬ。そうかもしらぬけれども、私どもがいろいろ皆さんに質問してみる限りでは、もうちょっと調べていてもいいのではないかと思う点が、そうなっていない。それは皆さんの能力がないのじゃない。今日の機構なり、予算なり、定員なりということから見ていけば、無理もない、こう思わざるを得ない。
これはやはりわれわれに幸福をもたらすためにこの法律ができておるのだから、いわば、このことを露骨に言うと、いかに今日こういう困苦欠乏のとき、将来に備えなければならぬときに、この法律をいかにうまく国情に合わして生かして活用をせられるか、これを私は北島公取委員長にお尋ねをしたい。
長く移民として出かけておった者を初めといたしまして、粒々辛苦した財産がそのままになっておって、引き揚げてきて困苦欠乏の中にだんだん死んでいく人も多い。
研究に金をかけることは必要ですけれども、幸いにして日本の科学者というものは、案外困苦欠乏にたえて研究する一つの美点といえば美点がある。ですから、ある程度国がそういう予算の裏づけをやってくれれば、かなり大きな成果を上げ得るのじゃないか。ところが、今申し上げるような実態では、なんぼけっこうな答弁をいただいても私は満足するわけにはいかぬ。
これは残念なことですけれども、日本の学者は案外そういう困苦欠乏に耐えて研究し得る能力がある。先生も学者の一人でございますけれども、私も十年近く研究しておりまして、そういう体験がございます。ですから、私はこういう方面にはある程度国が予算の裏づけを考えていただければ、相当程度今の日本の科学陣で成果をあげ得るのではないかというふうに考えるわけです。
東南アジアのフィリピンあるいはタイ、インド、ビルマ、これらのところにおきましてもわれわれの同胞がジャングルの中あるいは砂漠の中に困苦欠乏に耐えながら調査にいそしんでおるわけであります。しかしながらこれらの調査というものは相当に大きな資金が必要であります。
しかも今日までの農政を見るならば、一貫して救農政策であり、困苦欠乏に耐えなさいという勤労精神の押しつけであり、増産主義に立つ冷めたい物量農政であったと言わなければなりません。(拍手)農政転換の問題は、まずここに基本を置いて、いわゆる曲がり角の実相に対処すべきでありましょう。岸総理や福田農林大臣がしばしば説かれる生産性向上やその基盤確立のみでは解決にはならないと思います。
それじゃ、社会正義の確立ということはどういうことをいうのかといえば、これは、大きな社会不安を醸成して、結果的には世界の平和及び協調を危殆に頻せしめるような不正あるいは困苦欠乏というようなことを伴うところの労働条件をこの地球上から駆逐しようということを意味するのだろうと思います。
でありますから、ある困苦欠乏に耐え得る性格の人さえ選ばれており、そういう支援がある以上、何ら心配なく生活はできるということになります。また観測等の問題にしましても、何しろああいう大自然の非常に新しい事実のたくさん転がっておるところにおいて、何がしかの観測器械を与えられますならば、その観測は必ず人類に非常に大きな貢献をするに違いないということはよくわかります。
やはり今後は十分気をつけられて、今おっしゃったような意味で、ほんとうに困苦欠乏に耐えて、困難な業務に少い人数で当っておる職員の気持を体して、大蔵大臣、長官の気持を体して、やはり下部職員に対しては、親切な態度をもって臨んでもらいたい。今あなたの御答弁になったような、そういった態度でぜひ今後も臨んでいただきたい、このことを要望いたしまして、私の質問は終ります、
そういうようなごたごたのまま入ソいたしましたが、その入りました場所というものは、北は北氷洋からウラル山中はもちろんのこと、ハム鉄道沿線にまで入って、森林伐採などやって、いろいろな困苦欠乏の中におられました。そして、それらの方々は、そのとき防寒の被服もきわめて少いし、また食糧問題といえば、食糧の糧秣はきわめて僅少なものであり、またきわめて悪質であったということ。
いずれにしても同胞が沖縄において非常に苦しい生活、窮乏に耐え、困苦欠乏しておるのですよ。この人々がとにかく最もすみやかに救済されなければならぬと私は思う。造船利子補給の問題だってどうですか。あるいはまた最近の中古エンジンの問題だってどうですか。とにかく国費というものはこんな方面に償われるべきものであって、こういう声にこたえて政治を行うのでなければ、これは全然問題にはならぬと私は思う。
刑事処分については冒頭に伺ったところでありますが、保安処分につきまして、多くの場合、一度転落した女性は、安易な生活に馴れ、困苦欠乏に耐えるという気概が欠けているきらいがございます。従ってそれは、ただ単に保護更生の措置をするだけでなく、進んで少くとも保安処分による強制力を使わなければ目的を達成することは困難ではないかと思います。
心身を鍛え技能をみがくという言葉を書いておりますが、これはこういう実力部隊の特徴として、あくまでも強健な心身を——これはからだだけでなく精神もですが、忍耐強い、困苦欠乏に耐える心身を鍛えてもらう。
ところが、今日世の中に、あるいは新聞に、雑誌に、あるいは物の本に、無難なんじを玉にす、あるいは困苦欠乏に耐えるとか、あるいはまた、かわいい子には旅をさせるとかいうような文字が、一体どうして消え去ってしまったのでありましょうか。